大切な者をなくしてから、どれだけの年月が過ぎたのだろう。
時が意味を失って久しい。
何をしても、心は動かない。
戦うことにも。
敵の命を奪うことにも。
味方が命を落としてゆくことにも。
修羅王の流した血以外は、色褪せて見える。
あのとき以来、精神の時間は止まったまま。
それなのに、今も最前線に身を置いている。
デーヴァの正義を貫くため――などという気は端からない。
まだ、諦めきれないのだ。
失ったのだと、頭で分かっていても。
戦場のどこかに、あの人がいるのではないかと。
目が、心が探し続けている。
自分の前に立ち続けてくれたのは、彼だけだった。
傍らに在ると、太陽のような光と熱さを感じられた。
確かな生命の鼓動。
彼以上に信じられるものはない。
彼以外に望むものもない。
修羅王と出逢って、初めて生きていることを実感したものだ。
最初に彼を垣間見たときのことを、今でも鮮明に思い出せる。
夜叉王が幼少時に住んでいた辺境の村は、アスラの襲撃で焼け落ちた。
逃げ惑う人々。
獲物をいたぶるアスラの魔神将ども。
幼かった夜叉王は逃げ遅れ、死の刃を待つばかり。
それを救ってくれたのが修羅王だった。
唯一人で、瞬く間に数十人の魔神将を光流に還してしまったのだ。
他者の追随を許さない、圧倒的な強さ。
裏表のない、馬鹿がつくほどの真正直さ。
遥か前方を見続ける彼の姿。
そして、どこか寂しげな横顔。
並び立ちたいと願った。
あの眩しい存在の傍らに。
守りたいと思った。
あの魂の輝きを。
彼を追って神将候補生になってから、さまざまの噂を聞いた。
友人の多い修羅王には、かつてたった一人の親友がいたことを。
アスラ神族との激戦で戦死したという、八部衆の一人。
先代の夜叉王。
以来、修羅王は誰か特定の者を傍に置くことがないという。
まともに話をしたのは、神将になる前。
早く強くなりたいと、隠れて光流を高める訓練をしていたときのことだ。
人の気配に慌てて背後を振り向くと、修羅王が立っていた。
「あ、悪い。邪魔しちまったか。」
修羅王の素顔を間近にして驚いた。
どこにでもいそうな少年の表情をしていたから。
実際、桁外れの魂の輝きさえなければ、修羅王はありふれた少年と変わらない。
もう数千年は生きているはずだが、どうしても十五、六歳位にしか見えないのだ。
この黒髪の少年が、実戦に出撃している中で、最強の神将である。
信じ難いことだが、事実だ。
昔は、八部衆以上の神将集団も存在したという。
それらは、永すぎる戦いで失われてしまっていた。
『八大明王』は、一人を除いて全滅。
アスラに寝返った不動明王らに殺されたのだ。
『十二羅帝』は、雷帝と幻帝以外確認されていない。
どちらも、『実力』がありすぎたため、魂の損傷も大きすぎた。
傷が癒えて転生するには、気の遠くなる時間がかかるのだと言われている。
『八部衆』も、迦楼羅王、夜叉王が失われて久しく、八人で行う必殺技が使えないそうだ。
「俺に構わず続けろよ。そうだ、一人でやってても感覚が掴めねぇだろ。組み手でもやるか?」
相手になってやると言う。
最強のデーヴァ神将の名を欲しいままにしている彼が、初対面の候補生相手にだ。
神将にすらなっていない己が恥ずかしい。
「しかし、修羅王ともあろう方が……」
軍における階級は厳格だ。
「嫌か?」
好き嫌いの問題で済ませて良いのだろうか。
奔放そうな彼らしいと言えば、いかにも彼らしいけど。
「……光栄です。」
修羅王が聞き咎めて眉を顰めた。
「ああ、俺に対して馬鹿丁寧な言葉遣いは必要ない。堅苦しいのは苦手でさ。俺のことはシュラトでいいぜ。お前は?」
候補生が八部衆を呼び捨てになんてできるものか。
それでも、嬉しかった。
修羅王の本当の名を、彼自身の口から教えてもらえて。
「ガイです。」
一瞬、修羅王は虚を突かれたような表情を見せた。
「ガイ……か。かかって来いよ。遠慮はいらねぇ。」
あがりまくっていて、組み手の状況なんて覚えていない。
認められたくて全力でぶつかって行き、ことごとく阻まれたことしか。
ただ、あの言葉だけは忘れられない。
『凄まじい光流だな』と。
修羅王が声をかけてきたのだ。
『敵を皆殺しにする気か』と。
「なぁ、ガイ。お前は何のために戦う?」
訊ねてくる修羅王の瞳には、一点の曇りもない。
闇色の瞳が綺麗すぎて……怖い。
「それは……」
デーヴァの正義のため。
いつもなら出てくる建て前が言葉にならない。
修羅王の前で、偽りを口にしたくなかった。
修羅王がガイの頭にポンと手を置いた。
「お前には守りたいものがあるか?」
「はい。」
子供扱いされたようだが、伝わる温もりが嬉しい。
守りたいのはこの人だ。
誰よりも強く、どこか寂し気な人。
「それなら、大丈夫だ。ガイは必ず強くなる。じきに、俺と並ぶだろう。」
修羅王の言葉に驚き、慌てて見上げた。
「修羅王とだなんて……」
出会った瞳は真摯な光を宿していた。
「守りたいものがある奴は強い。」
実感のこもった言葉。
彼も、守りたいものの為に強くなったのだろうか。
「修羅王は?」
「え?」
「修羅王の守りたいものは何?」
途端に陰ってしまった修羅王の表情に、まずいことを訊いてしまったことに気付いた。
不用意に禁忌へ触れてしまった己の迂濶さを恨む。
「俺は……失くしてしまったんだ。二つとも、どうしても失いたくなかったのに。」
一つは親友だったという夜叉王だろう。
それなら、もう一つは何なのだろうか。
聞き出すきっかけが掴めないまま、疑問は闇へと葬られた。
「夜叉王様。」
呼び声に、夜叉王は現へと意識を引き戻された。
(定時報告か。)
それにしては、様子がおかしい。
「何があった。」
光流がざわめいている。
風が騒がしい。
「偵察に出ていた者が、結界で隠されていた村を発見しまして交戦中です。」
ここは最前線。
これより向こうに、デーヴァ神族は居住していない。
集落があるとしたら、同族ではありえない。
「アスラだな。」
「はい。あの光流は、デーヴァのものではありません。」
デーヴァ神族も、アスラ神族も、元をただせば同じ天空人である。
信仰や生活習慣が多少違うにすぎない。
外見的特徴では区別しようがないのだ。
ただ、どうしても誤魔化せないものがある。
光流だ。
その輝き。
その気配。
間違えようもない。
デーヴァの白の光流と、アスラの黒の光流は。
「滅ぼせ。」
修羅王はアスラとの戦いの中で殺された。
誰の手にかかったのかは分からぬままである。
だから、復讐するのだ。
アスラ神族すべてに。
修羅王を殺したかもしれないものすべてに。
すべてを滅ぼせば、この感情は消えるのだろうか。
身を焦がす憎悪と何も掴めない虚しさ。
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