結局、追加投入されることになったのは、全滅した東方軍の予備軍五十人だけだった。
調査という名目である。
迦楼羅王は、修羅王とともに彼らを率いるよう命ぜられたのだが、釈然としない。
あれほどの大部隊を滅ぼした敵を、この人数だけで迎え撃てるはずがない。
雷帝は、彼らを捨て石にするというのか。
敵の動きが分からなければ、不用意に他方面の軍を動かせないと分かっているが。
それに、修羅王もだ。
そもそも、一兵もいらないなんて言ったのは、修羅王自身だ。
そんな見知らぬ少年に、誰もが不審の目を向けている。
王とだけ呼ばせて名乗りもしない。
調和神の命令と言えど、正体の知れない子供に従えというのは難しい。
「せめて、あんたの称号だけでも連中に知らせてやればいいのに。」
迦楼羅王自身、少年の名を教えてもらっていない。
なんとなく、聞き出しにくくて。
名で呼ぶことを、許してもらえない雰囲気があるのだ。
そう、称号とて調和神に聞いたのだ。
修羅王自身の口から教えてもらったわけではない。
相手が八部衆だと知れば、兵士たちも納得するだろうにと繰り返し言い聞かす。
そして、何度言っても修羅王は首を横に振るばかりだった。
「その必要はない。要らぬ情報は口外するな。かえって混乱を招く。」
修羅王は頑として迦楼羅王の言葉を否定する。
修羅王の名がいらぬ面倒を起こすからと。
「自分の配下を信じられなくては、指揮官なんて勤まらないわよ。」
「指揮は迦楼羅王が取ればいい。」
言って、少年は迦楼羅王に背を向けた。
「死なせたくなかったら、俺の近くに連中を寄せるな。」
少年は誰にも近付くことを許そうとしない。
しかたなく、迦楼羅王はトリヴェーニーのほど近くに陣を張らせた。
「修羅王。」
目の前の少年を呼ぶ。
口に乗せると、その名がしっくりとくる。
味方が全滅した戦場にあって、この少年より冷静な者はいない。
この場に染みつく嫌な気配が、どうしても神経にさわってしょうがないのだ。
どんなに若く見えようと、少年は一万年前の激戦を生き抜いた神将である。
「教えてほしいことがあるのだけれど、良い?」
訊いておかねばならないことがあった。
戦いが始まる前に。
少年が無言でいるのを了承と取り、質問する。
「さっきはどうして兵を天空樹に帰せなんて言ったの?」
この少年は、自分以外は邪魔だから帰れなどと言ったのだ。
そう言われて素直に聞ける兵がいるわけない。
修羅王とて戦う者であるのだから、暴言だと分かっているはずだ。
戦士を侮辱する言葉だと。
「敵がいないのに、兵士は必要ないからな。余計な『敵』を作りたくないならばなおさら。」
静かな口調。
戦いを前にしながら、少年は変わらない。
「余計な敵って、どういうことよ。」
迦楼羅王に対する答えはひどく短い。
「あのときと同じだ。」
端的すぎる少年の言葉は、意味を掴み難くてしょうがない。
あのときとは、先の東面軍の全滅のことを言っているのか。
それとも、前回の大戦のことを言っているのか。
「何を知っているの?」
少年は、迦楼羅王たちに隠していることがあるようだ。
「知ってどうする?」
訊かれたくないらしく、少年は問い返してきた。
「同じ事を繰り返さないようにするのよ。」
少年が迦楼羅王と視線を合わせた。
深い闇を映す瞳。
絶望の色。
「できると思うのか? 何も知ろうとしないお前らに。」
隠しようのない怒り。
それは、デーヴァの民に向けられているのか。
「教えてくれなくては、分かることも分からないわ。」
迦楼羅王は確信していた。
修羅王は真実を知っているのだと。
そして、すべてを自分一人で終結させようとしている。
「何をそんなに知りたい?」
「修羅王?」
「真実はともかく、事実は一つだ。一万年前、ここでデーヴァの軍を全滅させたのはこの俺だ。
全員をこの手にかけた。残ったのは、俺とあいつだけ。」
それは、同士討ちだったのか。
それとも、裏切りだったのか。
「それが……あなたの『罪』?」
「そうだ。」
即答するのを聞いて、迦楼羅王は少年に対する疑いを捨てた。
死なせたのが事実だとしても、修羅王が裏切りを働くとは到底考えられない。
「どうして殺す必要があったの?」
思ったより冷静な声を出せたようだ。
「驚かないのか?」
修羅王が逆に問い返してきた。
「あなたは単なる殺人狂なんかじゃないわ。殺さねばならなかった理由があるのでしょう。」
どんなに厳しいことを口にしていても、少年は優しくて潔癖だ。
理由もなく力ない者を虐殺する人間には見えなかった。
「大した理由はない。」
「でも、私は知らなければならないわ。今、同じ哀しみが繰り返されようとしているのでしょ?」
修羅王が兵を近付けるなというのは、恐れているからだ。
また、死なせてしまうかもしれないと。
だから、彼らを遠ざけようとしているのかもしれない。
戦場から。
己の居る場所から。
そうすることで、守ろうとしているのだろう。
「……『黒の光流』を知っているか。」
沈黙の果てのキーワード。
「『黒の光流』?」
聞き慣れない言葉だ。
デーヴァでは耳にしない単語。
だが、『白の光流』という言い方はある。
わざわざ、『白の』とつけるということは、そうではない光流があるとも言える。
「光流には幾つか種類がある。最も知られているのは『白の光流』。
そして、制御が難しいとされる『黒の光流』。どちらか片方だけでは存在しえない。
『創造』、『調和』、『破壊』。すべて揃って、初めて生の営みがある。
一万年前なら、小さな子供でも知っていたことだ。
だが、先の大戦以降、『黒の光流』は禁忌とされた。
アスラ神族の使う狂った『黒の光流』の恐怖のせいで。」
少年は少し言葉を切り、真っ直ぐに迦楼羅王の目を見つめて言い切る。
「トリヴェーニーを襲ったのは、敵兵なんかじゃない。
狂わされた『黒の光流』に操られた味方だったんだ。」
圧倒的な数の差に、浄化してやることもままならなかった。
本来の姿を見失った黒の光流は危険極まりない。
取り込まれれば、正気に戻すのは難しいと言われている。
浄化の術を知りつつ、修羅王にはどうすることもできなかった。
十万の味方だった者と戦いながらでは無理である。
戻すことができないならば、最後の手段に出るしかない。
死をもって解放してやることしかできなかったのだ。
無慈悲な生よりは、慈悲の死を。
ただ、どのような理由を並べようと、味方殺しには違いない。
それが、少年の犯した罪だった。
歴史は繰り返されるとは、誰の言った言葉か。
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