微睡
まどろみの中、大好きだった昔語りを思い出す。
「いいか、よく聞くのだぞ。」
眠そうな目をした子供たちを集め、村の年よりたちがよく話してくれた物語。

「昔、昔……そう、お前たちのおじいさんのおじいさんがまだ若かった頃、とても大きな戦があったんじゃ。」
「それ、知ってるー」
いい加減、何回も聞かされている年かさの子供が、嫌そうに顔をしかめて言う。
先の大戦の悲惨さを忘れないためとかで、物心がつく前から聞かされることになっている。
いくつかあるのだが、どの話も途中で飽きるほどに長く、また変わり映えしない。
デーヴァの正義。
非天
アスラの残虐さ。
戦いの恐ろしさ。
英雄のいない、苦しかった聖戦。
子供たちにとっては、説教じみた退屈な話でしかない。
「まぁ、黙ってお聞き。」
たしなめようとして、老人はポンと手を打つ。
何か思いついたようだ。
「そうじゃな……それなら今日は特別だ。とっときの話をしてやろうかのう。」
とっときと聞いて、子供たちが興味を示す。
「特別?」
今まで聞いた話と、何が違うのだろう。
「そう、今まで一万年間、誰にも話さなかった『本当の話』さ。お父さんやお母さんたちには内緒にしとくんだぞ。」
そうでないと、このじじいが怒られるからな、と言い置く。
バレれば、きっと『世界』から抹殺される。
そう確信しながら、誰かに伝えずにはいられない。
「……『世界』の柱になるはずだった、少年たちの話さ。」



気が揺らぐ。
黒髪の少年は、半覚醒の状態から一気に呼び戻された。
すばやく身を起こし、いつでも動けるように身構える。
地についた手で、近づいてくる気配を探る。
それは、微かな人の気配だった。
(気が乱れている?)
追われているのか。
怪我でもしているのか。
他の気配も続いてくる。
複数の足音。
これも、人のものだ。
先の気配の主を追うものなのだろう。
追われているということは、何か罪を犯した者なのかもしれない。
それなら、捕まえなければならない。
罪人を捕らえるのは、『天』に住まう民の義務である。
少年は、地面に放り出した棒術訓練用の木の棒を拾い上げ、握りしめる。
大人に比べればまだ身体的に劣りはするものの、武術ならば自信があった。
追われる者の気配が近づいてくる。
少年は気配を追い、駆け出した。
(近い……)
きっと、相手はこの先の崖の下。
勢いをつけ、空中で器用に棒をさばきながら、飛び下りる。
思った通り、そこには人影があった。
少年と同じくらいの大きさの−−子供だ。
少年なのか、少女なのか。
すぐには判別できなかった。
土埃をかぶり、輝きは失われていたが、間違いなく銀色の髪。
見開かれた紅の瞳に、一点の曇りもない。
『天空人』
デーヴァにあるまじき、魔性の色。
そして、少年に向けられた、一瞬の敵意。
鋭い視線で、相手が少女でないことを確信した。
見ている間に、それがすぐに諦めに変わる。
追う者たちの足音が間近。
(これが『月の魔性』?)
長老たちの言っていた言葉が信じられなかった。
彼らの話してくれた昔語りのように、恐ろしい存在とは思えない。
これは、普通の少年だ。
自分とさして変わりない、ただの子供だ。
黒髪の少年は、思わず相手の腕を掴んでいた。
「こっちだ。」
手を引き、岩の陰に押し込める。
抵抗しようとした相手に一言。
「気配殺してじっとしてろ。」
交わされる視線。
そこに偽りは存在しない。
言い置くと、少年は棒を抱えて岩にもたれて座り込む。

緊張の間。
騒々しい気配が、表の少年へと近づいてくる。
苛立ち、殺気だった人々の群れ。
岩陰で両手を握りしめ、銀髪の少年は息を殺していた。
−−見つかりませんように
一心に祈る。
−−まだ、何も果たしてはいない
そう、約束も義務も。
繰り返さないと心に決めたというのに。
−−まだ死ねない……死にたくない
『神』を信じぬ身でありながら、祈らずにはいられなかった。
今のこの『世界』に絶対神がいないことを知っていたけれども。



村人たちは、訓練棒を抱えて寝ている少年を乱暴に引き起こした。
「なんでこんな所にいる!? 今頃は訓練の最中だろう。」
いきり立つ男の腕を押さえながら、その横から別の男が口を出す。
乱暴を止めるでもなく、諌めるでもなく。
「そんなことより、ここを化け物が通りませんでしたか?」
静かな声。
だが、語尾が震えている。
何故なのだろう。
何が恐いのだろうか。
それに、化け物とは何のことなのか。
本当に分からないから、
「さぁ……」
と、とぼけてみせた。
その途端、左頬に痛みが走る。
「お前が気付かないはずはないだろう。」
声を荒らげているが、男の双眸には恐れが見える。
何を怖がっているのか。
あんな子供を?
「……化け物なんか通らなかったぜ。通ったのは子供が一人。」
足音が軽かったから、俺よりチビか細っこい奴だろうと付け加えた。
「誰だか確かめなかったのですか?」
「俺、寝てたから顔は見なかったけど、ここを通り抜けていったぜ。」
そう言って、森の奥を指さす。
その遥か前方を、白っぽいものが横切った。
狼か。
虎か。
いずれにせよ、森に住む獣だろう。
「銀の魔物だ。」
「本性を現したに違いない。」
勝手に解釈し、村人たちが走り去る。
追う者たちであり、同時に恐怖に追われる者たち。
彼らが姿を消すのを確かめて、少年は背後に声をかけた。
「出て来いよ。」
答えはない。
「あいつら、もう行っちまったぜ?」
気配も押し殺したまま。
張り詰めた沈黙が息苦しい。
「おい!」
腕を掴んだら、思いがけず激しい抵抗に遭った。
「おいってば!」
力尽くで押さえようとして、相手をさらに混乱させているのに気付いていない。
「何もしないって。信じてくれよ。」
両腕を押さえられたまま、銀髪の子供が問う。
「何故嘘をついた? どうして俺を見逃そうとする?」
お前も『月の魔物』の話を聞いているだろうに。
言葉が皮肉に歪みそうになる。
目の前の少年自身に罪があるわけではないと、心の醒めた部分で分かっていたけれども。
言い訳か何かがくると思い構えていたら、相手の反応は意外であった。
「だって、お前は人だろう?」
不思議そうに黒髪の少年が問い返した。
「俺たちと同じ、赤い血の流れる人なのだろう? だったら化け物なんかじゃないさ。」
少年に言われて見れば、手足の傷口を彩る紅の筋。
逃げる間に草木で切ったのだ。
「髪も瞳も、色が違うだろう。気持ち悪くないのか。」
その問いにも、本当に分からないという風に見つめ返すだけだ。
「全然。綺麗だとは思うけど?」
それがどうしたのだと少年は言う。
同じ人間だとしても、見た目の色の差異は種族の違いを示す。
種族が違えば、信仰する神もものの考え方も違う。
あまりにも違いすぎて、出会えば武器を取り、相手の領域を侵せば殺される。
老人から子供まで、それは変わらない。
同族以外はすべて敵。
そう教えられてきたし、そういう目に遭ってきた。
なのに、目の前の黒髪の少年は『違う』。
まったく、驚かされるばかりだ。
(とんでもない馬鹿か、よほどのお人好しに違いない。)
心を許してはならない。
そう思おうとした。
裏切られて辛いのは自分だから。
もう、誰も信じないと決めたばかりだ。
その矢先に、
(えっ!?)
掴まれたままの腕を思いっ切り引っ張られ、少年の方へと倒れ込む。
引き寄せた少年も支えきれず、二人して地面に転がった。
重なる胸。
伝わる命の脈動。
想像していたより穏やかな、少年の心音。
耳を傾けていると、こちらまで心安らかになる。
寄せては返す、波音に似ている。
懐かしい気配。
敵意は―無い。
「いったい、何をする気なんだ。」
呆れた声で銀髪の子供がこぼした。
少年の行動も考え方も、何もかもが突飛すぎて、理解できない。
一方、少年は掴んだ腕を持ち上げ、反対の手をかざす。
手のひらから注がれる、金色の光。
太陽の色。
光が触れた所から痛みが薄らぎ、傷が癒えてゆく。
(これは、光流
ソーマ?)
そんなはずはないと思いながら、まじまじと見つめた。
この年齢でここまで使いこなせることは、非常に珍しい。
しかし、彼を驚かせたのはその黄金の輝きであった。
普通の色とは違う。
一般の天空人の光流は白い光。
彼の部族も、敵の部族でも同じである。
夜闇でもなければ、はっきりと見えないくらいに弱いのが一般的だ。
こんな、昼日中にはっきりと見えるのは異常である。
「痛みはひいたか?」
少年が何事もなかったように訊いてきた。
もう、腕や足の見える範囲に傷はない。
痛みを抑えるにとどまらず治療までできるのは、相当な実力を持つ証し。
この少年、只者ではない。
「その光流……」
これだけで、訊きたいことが分かったようだ。
ああ、と軽く頷いて話してくれる。
「この光流ね。ちょっとおかしな色してるだろ?」
あっけらかんとした少年の言葉に、相手は首を横に振った。
奇妙な色と思うより、綺麗だと思う。
焦がれて止まない、生命の溢れる光。
「好きだな、その色……」
すると、少年も、
「俺だってお前のこと綺麗だと思うし、好きだぜ。」
と、照れもせずに言う。
再び警戒を見せる子供に、どうしてと小首を傾げてくれている。
黒い瞳に宿る光は透き通り、裏で何か画策している様子はない。
ここにいたり、銀髪の子供は少年の言う『綺麗』の示すところがおぼろげに分かり始めた。
少年にとって『綺麗』というのは、二通りあるらしい。
文字どおり外見が綺麗であるということ。
そして、嘘偽りのない−−心が綺麗であること。
今のは、どちらかといえば後者の意味であると思われる。
周囲にいらぬ誤解を生みかねない言動だ。
「ところで、お前は何処から来た? 名前は?」
少年の頭の中で、種族の違いはどうでも良いことなのだろう。
普通、この状況で名乗れるものなのか。
子供は口をつぐんでいる。
しばらく経って、自分が名乗っていないのに気付いたらしい。
「あ、俺はシュラト。今年でちょうど十歳になる。」
そして、お前は?と、目で語りかけてくる。
しょうがないと思った。
こんなに単純で真っ直ぐな相手には勝てない。
子供の方も答える気になった。
「ガイだ。」
信じられないことに、歳は同じ。
「ガイ……か。良い名前だな。」
惜しみなく向けられる、屈託無い笑顔。
守りたい。
自然とそう思う。
それが、二人の新たな出逢いであった。











<お手数ですが、メニューに戻るときはウィンドウを閉じて下さい>