『あしたへの分岐点』













瞑想をしていた筈の女神が、おもむろに口を開いた。
「彼らに転生の兆しがあります。」
「……彼らとは、あの彼らでしょうか。」
黒衣の男が問う。
「恐らく、あなたが考えている通りだと思いますよ。」
ここ一万年の間、一度として転生していない八部衆の修羅王と夜叉王。
対アスラ戦における、デーヴァ神軍の切り札となる二人だ。
「大丈夫でしょうか。転生前の彼らに、破壊神が何かしたらしいと聞いたことがあります。」
「その可能性について、私もブラフマーから聞き及んでおります。そこで、対策を講じることにいたしました。」
「して、その対策とはどのようなものなのでしょうか。」
「それは、彼らが転生してのお楽しみです。」
自信ありげな女神の言葉に、疑いを持つものはいなかった。
そのときは、まだ……



調和神の指示を受け、迦楼羅王レイガは天空樹第七楼に降りてきた。
人間界から転生した八部衆の仲間がいるので、迎えにいってほしいと頼まれたのだ。
倒れていたのは、レイガより少し年下らしい二人。
やや長身の銀髪の少年と、小柄に見える黒髪の少年。
なんとなく、小柄な少年の方が気になり、先に体を起こすことにした。
基本的に、レイガは可愛い子が好みだった。
顔形だけでなく、サイズ的にも可愛い……
つまり、己と並ぶ身長の相手より、頭半分でも低い方がいい。

無意識の選択だった。
小柄な方……黒髪の少年の上半身を起こす。
「気安く俺に触るな!」
声のした方へ目をやると、銀髪の少年が半身を起こし、レイガへ鋭い視線を向けていた。
紅い瞳が燃えるようである。
そこには、強い意思の光が宿っていた。
レイガは、少年の言葉を吟味する。
彼が触れて抱き起こしているのは、黒髪の少年だ。
話しかけてきた銀髪の少年ではない。
だが……
「『俺』って、あなたじゃなくて、この子のことかしら?」
この子と指差されたのは、レイガの腕の中にある黒髪の少年の体である。
そこで、鏡でもないのに己を目の前にしていることの異常さに気付いたらしい。
「なんで俺がそこに……って、これ、凱の体じゃねえか!?」
鏡はなくとも、己の動きに合わせて流れる銀髪が視界に入る。
慌てて立ち上がれば、いつもより目線が高い。
少年が慌てている様子に、レイガは確信した。
何か、尋常ではない事態が起きているのだと。
今度は、レイガが起こしかけていた少年が身動ぐ。
開かれた瞳は、漆黒の黒。
波一つない夜の湖面のように、静かな闇をたたえている。
呼ばれるように銀髪の少年をそこに映し、一言。
「ひょっとして、秋亜人……か?」
声音と表情……中身と外見のギャップが大きい。
二人とは初対面ではあっても、中身が入れ違っていることをレイガは認めるしかなかった。
「とりあえず、ビシュヌ様のところに行きましょ。」
彼女ならば、何か知っているに違いない。



「あらあら、どうしましょう。ちょっと手がすべってしまったかしら。」
にこやかな調和神と、微動だにしない視線を向ける、修羅王の姿をした夜叉王。
その隣には、無邪気な表情を浮かべる夜叉王の姿をした修羅王が立っている。
調和神の傍らに控えながら、インドラはどうしたものかと悩んでいた。
というのも、実のところ、彼は調和神と敵対している破壊神に属する者だったからだ。

一万年前、破壊神シヴァは異動宮に封じられた。
シヴァに隙を作らせる為の戦いを挑んだのは、当時の修羅王と夜叉王の二人である。
封じられる直前、シヴァは夜叉王に黒の光流の種を植え付けていたという。
再び転生してきたときの為の布石である。
人間界にいた間は表に現れていないが、黒の光流の種は夜叉王の精神と肉体の両方に根付いていた。
天空界に転成し、一気に芽吹くはずだったのだ。
だが、調和神は転生する二人の肉体と精神を、わざと入れ替えたのである。
光に満ちた力を使う修羅王の肉体は、夜叉王の精神を闇から守り、
修羅王のシンプルで強靭な精神は、夜叉王の肉体から溢れ出ようとする黒の光流を無意識に抑えていた。
単純ではあるものの、見事な封じ込め策である。
本人たちが望んでいないことだけは確かだが……

「元に、戻していただけるんですよね。」
夜叉王ガイの問いに、調和神が笑みを崩さぬまま答える。
「原因を解明し、障害を排除できれば、戻ることが可能となりましょう。」
二人の視線が交わり……ガイは彼女の言わんとしているところを理解した。
この入れ替わりは、彼女が仕組んだことなのだと。



転生から数ヶ月経っても、女神の策がよく効いており、夜叉王が黒の光流に目覚める兆しはまだない。
一番の被害者である本人たちはというと、最初の混乱が治まると現状を受け入れていた。
どうして二人の魂と体を入れ替えるなんて策をとったのか、経緯を聞かされたようである。
親友と戦うことになるよりはいい……そう言って笑っているのを、インドラは何度か目にしていた。
それに、早く元の状態に戻りたいという目標があるからか、アスラとの戦いに対する決意も固い。
このままだったら、恐らく夜叉王は黒の光流に目覚めることはないだろう。
独りではないというのはいいものなのかもしれないと、インドラにはそう思えた。



<End>





>Post Script
>もし、転生のときにビシュヌ様がガイの異変に気付いていたら……と思って書いたif話です。
>
対策といいつつ、入れ替わった二人のギャップと、無表情ながらも動揺しているインドラ様の反応を見て、
>ビシュヌ様は楽しんでいます。
>ただ、この状態だと、ラクシュは合流できるのかという疑問は残っていますが。


<お手数ですが、メニューに戻るときはウィンドウを閉じて下さい>