『15年目の6月12日』






新天空殿の調和神の間の隣には、八部衆の執務室があった。
現在、デーヴァ神軍の指揮を任されているのは八部衆だ。
いくら高位の神将だと言っても、まだ彼らは過ぎる程に若い。
修行を積めば数千年を軽く生きる天空人である。
先の大戦終了から十五年程経ったが、まだ二桁の半分にも届かない若輩者だ。
そんな彼らが行政・軍事共に指揮権を持つ理由は、至極単純。
デーヴァ神軍の主だった神将や文官らを、先の大戦で失ってしまったからだ。

ちなみに、この執務室は本来の機能を果たしたことがない。
執務室というより、むしろ集会室と呼んだ方がふさわしいくらいだ。
今だって、四人も居ながら仕事らしいことをしている者はない。
そこに飛び込んで来た人影が問いかける。
「シュラトちゃんは居る?」
レイガだったから良いものの、扉が無い部屋というのはまずいのではなかろうか。
もし、重要事項の議論でもしていれば、通りすがりの見回り兵に聞こえるだろう。
ここで仕事をしているならば……の話だが。
「今日はまだ見てないが?」
最初に返事を返したのはヒュウガだった。
レイガの手に納まっている書類に気付いたようだ。
さすが、調和神の元側近。
「急ぎの案件か?」
仕事に関しては、誰よりも目敏い。
「ああ、これ? これは急ぎって訳じゃなくて、今日中に確認してもらいたいものなの。
 あの子捜すのって、結構時間かかるでしょ。
ただ、時間になっても来ないからって、ラクシュちゃんが。」
彼女が調和神の間を離れられないから、頼まれたレイガが捜しに来たのだ。

「さっき、修練場から戻って来たんだが、途中でも見かけなかったな。」
これはリョウマの言。
毎朝の日課から帰ってきたところか。
部屋の片隅からダンも声を上げる。
「俺も、さっき食料庫に行って来たとこだけど、会わなかったぜ。」
その傍らには数種の果物がこんもりと小さな山を築いている。
一人分にしては量が多い。
「……盗み食いは程々にしておきなさいよ。」
「今日のは、シュラトにも持ってけってあっちが寄越したから奴だから大丈夫。」
必要分を取られるよりと、余分な物を多めに握らせたのだろう。
ダンとシュラトの二人が食料庫に出入りするので、どうにかしてほしいという陳情がレイガのところまで届いていた。
二人に注意したところで、三日も経てば忘れられてしまう。
困ったものだ。

「ありがと、少し捜す範囲が限定できそうだわ。」
立ち去ろうとしたレイガの頭上から声が降って来た。
「昨日、シュラトが何か言っていませんでしたか?」
空中で座禅を組んでいるクウヤだ。
いつもより高い位置にいたので、瞑想を装った昼寝中と思っていたが違ったようだ。
「そういえば、嬉しそうにしていたな。明日はガイの誕生日だとかで。」
つまり、今日がその日ということか。
レイガの顔から血の気が引いた。
ラクシュがシュラトを捜して来いと言っていた原因である。
結界にでも篭ったのか、シュラトの位置が掴めないというのだ。
ただし、天空殿からは出ていないらしい。
ラクシュの言葉を口にしてからの反応は素早かった。
もしかしてと、ある思い出したくない過去の琴線に触れてしまったらしい。

(持っている人は、CD『八部衆 The World』 天霊界関係の話を参照のこと)

また、獣牙三人衆まで出てこられては、とんでもないことになる。
「手分けして捜すぞ!」
ちょうど光流治療から帰ってきたレンゲの腕も掴み、あらかじめ決められていたかのように捜索に散って行く。
「……もう、間に合いませんよ。」
残されたクウヤの呟きを聞いた者はいない。



一般神将から女官まで、全ての者にシュラトの行方を訊いたが、誰一人として姿を見たものはいなかった。
「おかしいわね。ここまで捜してもいないなんて。」
羽を弄びながら、レイガが呟いた。
雷帝インドラの結界も通りぬけた霊視羽だ。
シュラトが結界を張っていたとしても破る自信はあった。
「もしかして、部屋にいるんじゃねぇの?」
主に外を捜しまわり、息を弾ませながらダンが訊ねた。
「勿論、最初に確認してるわよ。」
「いや、シュラトじゃなくて、ガイの部屋を確認した奴はいるか?」
途中から捜索に加わったレンゲの疑問。
「あそこは、八部衆とラクシュ以外立ち入り禁止になっていたな。」
少し視線をそらしつつ、ヒュウガが言った。
「まぁ、俺達もほとんど入ったことはないがな。」
リョウマも、親友と同じ仕種を見せた。
新天空殿を作るにあたり、シュラトがどうしてもというのでガイの部屋も整えたのだ。
公式には創造神後継者の部屋としており、シュラトの私室と隣り合わせになっている。
手許に残ったガイの身の回りの品を置き、たまにそこで時間を過ごしたりしているらしい。
一番怪しい場所を失念していたといえよう。
というのも、各々思うところがあり、好んで足を向けたい場所ではなかったからだ。



近付くと、わずかに声が漏れ聞こえてきた。
確かに、ここに居る。
しかも、一人ではない。
意を決して、天空殿内にはほとんど付けられていない扉を叩いた。
ほどなく、扉が開かれる。
驚く程にあっさりと。
「あれ、みんな揃ってどうしたんだ?」
あまりに明るい声。
心配して駆けつけた分、どうにもおさまらない。
すると、シュラトの背後から見覚えのある姿が顔を覗かせる。
さらりと流れる銀糸。
「いつもご迷惑をおかけしてすみません。今日一日だけ、大目に見ていただけませんか?」
同じ容貌でありながら、夜叉王だったときとは大違いだ。
「ここしばらく、真面目に修行してると思ってたら……シュラトちゃん、今度は何をやったの?」
凱の足下に視線を向ければ、影はない。
実体がないということは、光流だけ分離させたのだろうか。
それなら、ラクシュが光流の異常を感じ取ったことも理解できる。
まったく無茶をするものだ。
「見れば分かるだろ、凱の誕生日を祝ってたんだよ。お前らも入るか?」
明らかに狼狽気味の八部衆の面々に、無邪気に誘いをかけた。
「秋亜人、無理に誘うのは……」
「祝い事は、人数が多い方がいいよな。」
そう言って、新しいグラスを取りに隣の私室へ走ってゆく。
「年に一度位、良いのではありませんか?」
いつの間にかクウヤが追い付いて来ていた。
慌てていないところをみると、瞑想しながらすべてを把握していたらしい。
「ま、いいんじゃねぇの? あいつ喜んでるしさ。」
ダンは早速テーブルについていた。
頭で考えるのが苦手な分、目の前の現実にいち早く順応したのかもしれない。
「今の体調で無理させるのは良く無いな。」
光流が不安定になっているのに気付いたレンゲが、シュラトの手伝いをするべく隣へと向かう。
どうしたものかと躊躇しているリョウマとヒュウガを食料庫へ使いに出し、レイガは天井に目を向けた。
「……ラクシュちゃんも呼んであげないとね。」
除け者にされたと知られれば、後が恐い。



いつもより人数の多い一日。
天空殿は、今日も平和だった。






>Post Script
>というわけで、遅ればせながら凱の誕生日祝いの品です。
>また、凱の出番が少ないと怒られそうですが……
>個人的には、少し甘い話のつもりです。

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